エビデンス中毒

皆さんこんにちは~

らんまるデンス!

最近、よく見かける「エビデンスは?」とか「こういうエビデンスがあるので私が正しいです」みたいなのって、大っっっ嫌いなんですよ(^^;)

そもそもエビデンスって何?
という方もいるかもしれませんので説明すると、「証拠・根拠・裏付け」という事です。

いや、ちゃんと議論が成立するエビデンスであれば良いと思いますよ。
ただエビデンスの使われ方が「相手を否定し、ねじ伏せるもの」になっているように見えるのです。

実際私がむか~しあった事ですが、こういうエビデンスがあるからお前の言っている事は間違っていると言われたことがあります(内容まで話すと炎上しそうなので・・・)。
私にはそのエビデンスが見つけられませんでしたし、相手から出典の提示もありません。そして、その方の説明をそのまま鵜呑みにするのであれば、そのエビデンスを議論に持ち込むのは不適切でした(前提条件が違う可能性がありました)。
また私の周囲の現場の声も、そのエビデンスとは反する内容でした。
その指摘をしたところ、今度は「自分は専門家だ、少数派の個人の意見を持ち出すな」とひと蹴りされたことがあります(専門家とは思えない発言ですが・・・)。

こういうやりとりが私だけでなく、様々な場所で平然と行われているように思います。

〇これの何がマズイのか?

まず大前提エビデンスというのは、「特定の条件のもと得られた結果・分かった傾向」です。
なので、エビデンスの内容と現場の意見に食い違いが出たら、まずはエビデンスの前提条件が現場の条件(または議論中の条件)と適合するのかを確認しなくてはいけません。

その確認もなしに所詮は少数のイレギュラーなどと、さらには自分の立場でマウントを取りながら相手をねじ伏せるのは全く議論にならないのです。
生徒からの質問に「俺は教師だぞ、俺は教科書の通りに説明している(つもりだ)から、正しいに決まっているんだ」と言っているようなものです。

ちなみに自分の意見を通しやすいエビデンスを選び、不利なエビデンスを意図的に隠すことをチェリーピッキングと言います。

また別件でエビデンスがあればもう研究しなくて良い、結論が出ているという考え方もうかがえます。
これは私にあったことではなく最近色々な場面で出てきて気になっている事なのですが、エビデンスの前提条件が議論の内容と合致していると仮定して、平均を語る上でエビデンスを持ち出すのは適切ですが、個別事案を語る上では切り分けて考えなくてはいけない側面もあります。

あるビジネスをする際にエビデンス上、多くの人に対して問題がある。なので適切ではない。
これは成立します。
しかし、この人の発言はエビデンス上ありえない。だからこの人は嘘をついている。
これは成立しません。

エビデンスはあくまでも「全体の予想される傾向」なので、傾向から外れた個人について語る際は、改めて調査・研究をする必要があります。なので、エビデンスから外れているから嘘をついているは科学的とは言えません。
研究の余地がある部分があるから科学は進歩するのです。

「エビデンスを先出ししたもん勝ち、どうせ反論されても権威性でねじ伏せれば良い」どうも世の中そういう傾向が強くなってきているように感じます。

研究者・科学者・専門家の方々は、そもそも地頭が周囲より良かったり専門知識があるのだから、伝家の宝刀のようにエビデンスを使うのではなく、ちゃんと相手を納得させられるように丁寧にエビデンスを使ってほしいなと思います。

私の話ですか?頭ぱっぱらぱーな私にエビデンスなんてありませんよ。感覚感覚♪ぐへへ。

ではでは~☆彡

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